お盆の帰省ラッシュが始まったみたいです。東京駅は大きなスーツケースをもった帰省する人たちで毎日ごった返しています。中には、中学生くらいの団体がいて、これから部活の合宿にでも行くのかなと思ったりしています。
僕はというと、証券アナリストの試験を9月に控えているので、お盆シーズンは避けて帰省しようと思っています。まぁ帰省といっても高尾山に近い場所なんで、帰ろうと思えばすぐに帰れる訳ではある。ただ、なんとなくだけどしっかり集中して勉強したいと思った。
オリンピックで連日柔道が取り上げられるのは、とても喜ばしいことだ。男子全階級でメダルを取れたことは、選手だけでなく井上監督を中心としたチーム日本代表がうまく機能したのだろう。
僕が柔道と出会ったのは、中学3年の秋だった。中学に入学した時、その当時流行っていたテニス漫画と、友達をつくりたいからという単純な理由でテニス部に所属した。このテニス部、部員数100名を超える大所帯で、野球部に次ぐ人気の部活だった。
練習は4~5日くらいあった。ただ、100人も部員がいると、当然全員が練習をずっとできるわけではない。正確に言うと、テニスが上手い人は練習ができて、テニスが下手な人はコートに上がれずにずっとランニング・トレーニングしかできなかった。僕は、もちろんっていうのもあれなんだけど、万年後者の方だった。
他の友達が部活意外でもテニス・スクールに通って努力してガンガン上手くなっていく中、どっちかっていうと球技の才能もなかったくせにろくな努力をせずただ走ってばっかだったので、どんどん練習できない→上手くならないという悪循環に陥っていった。今考えると、もっと頑張れよ自分って思う。
テニスが全くうまくならないまま、途中でやめるのは何か「かっこ悪い」という変なプライドが邪魔して、結局中学三年生の引退までテニス部に残っていた。大学の付属校に行っていたから、高校受験ていうのが僕たちにはなかった。ただ、大学受験も視野に入れて高校生活を過ごせみたいなプレッシャーを両親から受け始めて、どうするかなーって思っていたときにたまたまテレビで柔道の世界選手権がやっていた。
どの選手がゆったのか覚えていないんだけど、ある選手にインタビュアーが「本当に天才的な勝ち方でしたね」って言ったら、その選手は「僕は天才じゃないです。ただ、人一倍努力をしてきた自信はあります。なので、努力の天才と言われれば、それは最高の褒め言葉です」と応えていた。今思えばこれが僕の人生を変えてくれた言葉だった。「こうなりたい」と思った。
そこから柔道部への入部届を出すのは早かった気がする。たまたま柔道部の先生がなかなか熱心な先生だったこともあり、柔道を始めてから僕の生活は一変していった。週7回、1日に2回練習あるときは週8回の練習に没頭するようになった。坊主にもなった。いわゆる先輩・後輩の付き合いもできるようになった。大きな怪我もした。練習は一回で2~3kgが落ちるような厳しさだったけど、どんどん強くなっていくのが面白かったし、何よりものめり込めるものができたことが幸せだった。
高校3年生では、キャプテンになった。その年の地区大会ではラッキーも重なり決勝まで進み、うちの部として何年ぶりかの準優勝をすることができた。相変わらず球技は苦手だったけど、きちんと努力をすれば何か実を結ぶというのが経験できてとてもうれしかった。ただ、その後の県大会ではまさかの1回戦負け。先生にぼっこぼこにされ、怪我も重なって、早く引退したいと思っていたんだけど、その年に九州で行われる全国規模のオープン大会にうちの部として初めて出場することになっていたので、県大会後も重苦しい気持ちで毎日練習に行っていた。
確か肩だったと思うだけど、痛くて思い切り動けないまま、大会が始まってしまった。初めての九州遠征、初めて参加する大きな大会。今思うとなぜあんなこと言ったんだろうと思うけど、試合の直前に緊張が切れて「メンバーから外してください」と自分から先生に言いにいった。怪我をしている自分を使うよりも、元気な後輩を使う方がチームにとって最適だとその時は本気で思ったからだ。
先生は部活にかなり熱心な人だった。僕もそうだけど、無様に負けたり、学校生活でいい加減なことしてぼっこぼこにされた部員を何人も見てきた。ただ、柔道にかける情熱は人一倍で、柔道の名門筑波大学に勉強で入って、そこの柔道部に所属。うちみたいなスポーツとしては無名の学校に教員として就職して、全国に出るという目標を本気で持ち続けている人だ。
始めての全国規模の大会で、キャプテンが突然そんなこと言い出すもんだから、先生もカンカンになっていた。試合会場の端っこで先生は僕を怒鳴った。
「結果はどうでもいいから、負けてこい!逃げるな!」
たぶん自分の思い通りにいかない状況から逃げたかったんだと思う。負けることよりも逃げることの方が恰好悪いことなんだってことに気づかされた一言だった。
結局、柔道は大学卒業まで続けた。自分よりも遥かに強い全国クラスの後輩、廃部寸前の4人のチームからスタートして46年ぶりの団体全国大会出場、4年では20名まで増えたチームのキャプテンと、今思えば濃い4年間を過ごさせてくれた。どこかの格闘選手がいつぞや言っていっていたけど、「なんか一つのことをひた向きに続けていれば、きっとなんか起こる」っていうのは本当のことなんだろうな。
柔道から離れて、今は投資・運用の世界でMBAを目指している。周りの人間や環境はがらりと変わってしまったけど、やると決めたらやる、できるまでやる、そして泥臭くやるという柔道が教えてくれたことは、今でも僕をしっかりと支えてくれているんだろう。柔道やってたことがビジネスの世界でも活きていることを自分の後輩達にしっかりと伝えていけるようになりたい。それが僕にできる恩返しなんだと思う。
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